イングランド地方都市でエンジニアとして生きる人間の雑感

イングランド生活とか製造業系エンジニアとか色々

英国での就職の経緯 1)

最初の自己紹介の記事から半年以上更新されていない事に気づきました…

 

今日は英国での就職の経緯について思い出しつつ書いてみます。

自己紹介でも書きましたが今の会社が技術者としては日本での職歴を含めて3社目です。私個人一番苦労したなと思うのは、英国での一社目から二社目への転職活動だったかと思います。ロンドンは大都市で多くの日系企業がオフィスを構えていますし、企業の数も多いので、ロンドン在住でオフィスワークが主であれば仕事が見つかりやすいイメージがありますが、まず製造業系技術職となると特に工場を併設している場合スペースが必要なので郊外が多いです。且つ地方都市ともなるとロンドンに比べ求人も少ないので就職活動のハードルも上がる気がします。

 

最初にリバプールに住んでいた時は自分の英語力が低すぎた&技術系求人が少なすぎて全く歯が立ちませんでした。そもそも英語が駄目過ぎて文系を諦めた人間が英語圏で生活する事になるなんて、まじで人生って何があるかわからんなーと。取りあえず生活周りの事が出来るようにならないと英国生活詰むと思い、街中の語学学校をいくつか見て比較的料金がリーズナブルな学校へ入学を決めつつ、仕事で英語覚えるのが近道かなと考え、次の週には近くの中華料理屋でバイトすることにしました。結局厨房のスタッフ達が全く英語が話せなくてコミュニケーションが取れず&意外に忙しくて三か月で辞めました…

そうこうしていると日本人コミュニティーの方からパートで日本語新聞の編集の仕事を紹介されたので速攻で応募したら受かったので働くことに決めました。大体ここで1年半働きました。ケンブリッジに引っ越しても次の仕事が決まるまで、フルリモートで継続して働けた事はかなり大きかったと思います。英系のオフィスで英語がベースの為、英人達のメールのやり取りの仕方やオフィスマナーなどかなり勉強になりました。ここで働いてなかったら今この国で働けてなかったかもしれません。感謝です。

正直このリバプール時代の一年半ちょいは人生の夏休みだったかなと。今思い出すと少し感傷的になるくらいには本当に楽しい日々でした。友達も結構作れましたし。

 

パートナーの転職により北西部から南東部、イングランドの反対側に引っ越しました。ケンブリッジで一番ビビったのが家賃や物価の高さでした。パートナーの給料が上がったとはいえ家賃が一番のネックで日本語編集のバイトでは生活が楽にならないと危機感からケンブリッジで就職活動しましたが履歴書をいくつか送っても梨の礫状態で流石に心折れそうでした。結構精神的にしんどかったせいかこの時期の記憶が曖昧で詳細が余り思い出せません…すみません。

当時は車を持っておらず、職場は電車で通える範囲となるとなかなか求人も無く探すのに苦労しました。何とか通えそうな求人を探し、履歴書とカバーレター送ることを根気よく続けたところ、スタートアップ企業から面接のお誘いがありました。面接対策として企業研究や想定質問と回答集など色々準備はしたものの、緊張で英語がしどろもどろになってしまって自己評価的には失敗したと思ったのですが、奇跡的に受かりました。後日最終面接に呼ばれたのですが、実験のデモストレーションをお願いされたのでラボでの実験を実際にマネージャーと行い、焼成炉のプログラムを組んだりしてアピールしました。後日無事オファーを貰って契約書が届いたときにはとても嬉しかったのを覚えています。

長くなったので続きは次回へ。

自己紹介

はてなブックマークに8年?程うろうろしてましたが、思い立ったら吉日でやっと自分のブログを立ち上げてみる事にしました。
といいつつ半月くらい放置してしまいましたが。

取りあえず自己紹介から。


英語が苦手で理数系がそこそこ点数取れたのでうっかり理系コース→理工系学部→大学院で修士

日本で8年程材料系メーカーで設計/材料&プロセス開発などなどやっていましたが、
とある事情で英国に住むことに…
英系ベンチャーでProduction/R&D Engineerとして4年働いて、今は中規模事業所のProcess Engineerとして働いて1年くらい。


日本に住んでた頃は英語はA1で最低限だったけど、取りあえず現地企業でなんとか仕事出来るレベルまでにはなりましたが、全然足りないなーと感じる今日この頃です。

 

7年くらいイングランド内の地方都市を3つ程転々として今はヨークシャー郊外で羊や馬がその辺にいるような田舎に引っ込んで暮らしてます。因みにロンドンで暮らした事は無く、そこは若干残念ポイントです。


今後は思い立ったトピック挙げていこうかと思っています。